失恋で崩れた「自分でなんとかする」という信念|メンタルコーチになるまでの物語vo.2

メンタルコーチになるまでの物語、第2回目!
前回を見逃した方はこちらから↓
努力すれば、なんでもできると思っていた
北海道大学に入学した私は、大学生活を謳歌するようになりました。
2000人に10人しか挑戦しない、文系から理系への転向にも成功。
憧れで、人気の農学部にも進むことができました。
サークルではパートリーダーを任され、責任ある立場も経験しました。
「意志を持って、適切な努力をすれば、目標は達成できる」

そんな実感とともに、「自分でなんとかできる」という気持ちが、
私の中で大きく育っていきました。
けれど、その考えを粉々に砕いた出来事がありました。
それが、失恋です。
失恋と哲学
大学に入り、初めて人に振られました。
これまで、努力すればどうにかできてきた私にとって、はじめての挫折でした。
ごはんが喉を通らない、という感覚を初めて知りました。
今まで良さがわからなかった失恋ソングに共感して、涙が止まらない夜が続きました。
そのとき私は、はっきりと感じました。
「世の中には、自分ではどうにもならないことがあるんだ」と。

失恋のつらさから抜け出すため、私は哲学にのめり込みました。
その中で出会ったのが「構造主義」という考え方です。
「自分でなんとかする」は、本当に正しいのか?
構造主義では、人の考えや行動は、
社会の仕組みや空気に大きく影響されていると考えます。
私たちは自由に考えているようで、
実はまわりの価値観や前提に、知らないうちに引っぱられている
という見方です。
たとえば、
「西洋は進んでいて、東洋は遅れている」
「男性のほうが上で、女性は下」
そんな考え方を土台にした社会で生きていると、
私たちも無意識に、その考え方を下敷きにして物事を考えてしまいます。

構造主義を知ったとき、私はこう思いました。
「こんなに社会の影響を受けているなら、
自分でどうにかできないことのほうが多いのではないか」と。
「自分でなんとかできない」を前提に生きる
これまで大切にしてきた「自分でなんとかする」という考え方。
これこそが、「すべては自己責任だ」と人を追い込む考えにつながるかもしれない、
と気づきました。
それから私は、自分の心を見つめつつも、
「自分でなんとかできないことがある」という前提で、
人や社会と関わっていくことが大事なのではないか、と考えるようになりました。
失恋から始まった学びは、
気づけば「社会と私の関係」を見つめ直すところへと、つながっていました。
つづく↓




