インドの物乞いと糸島のフリーランス|メンタルコーチになるまでの物語vo.3

メンタルコーチになるための物語、第3弾!
これまでを見逃した方はこちらから
就職したいところが、ない。
大学生だった私にとって、「社会との関わり」といえば、
いちばん身近だったのは就活でした。
大学に入ったころは、
「まあ、公務員になるんだろうな」
そんなふうに、なんとなく思っていました。
でも、社会について知れば知るほど、
行きたいと思える就職先が見つかりませんでした。

たとえば、企業が起こしている環境問題を知るたびに、
「就職をしたい」という気持ちはどんどん小さくなっていきました。
でも、就職しなければ、食べていくあてもない。
どうしたらいいのか分からず、私は完全に迷子でした。
インドの物乞いのシンプルなやりとり
迷える子羊だった私は、
「自分探しの旅といえば、インド」ということで、
とりあえずインドに行くことにしました。

そこで目にしたのが、道ばたに横たわる物乞いの人たちです。
彼らは、お金をもらうことに、何のためらいもありません。
そして、お金に余裕のある人は、当たり前のように金貨を手渡します。
そこに、大げさな「ありがとう」はありませんでした。
ただ、余っている人が、足りない人に、足りないものを渡す。
とてもシンプルなやりとりが、そこにはありました。
糸島で出会った、おもろい大人たち
その後、九州大学院に進学した私は、
移住者に人気の福岡県・糸島市に住むことになりました。
糸島には、大手企業を早期退職して、
自分で仕事をつくっているフリーランスの大人たちが、たくさんいました。
コロナ禍で授業がオンライン中心だった私は、
自然と、そんな大人たちと関わるようになりました。

彼らは、アイディアをとても面白がります。
そして、「やってみよう」と思ったら、とにかく動くのが早い。
立ち話で、「駄菓子屋さんがあったらいいよね」と話していたと思ったら、
半年後には、本当にお店ができていた。
その光景を見て、私はただ、あっけに取られました。
レールの外にも、世界は広がっていた
インドの物乞いの人たちと、糸島のフリーランスの大人たち。
この2つの出会いから、私が学んだことは、とてもシンプルでした。
「生き方は、ひとつじゃない」
いわゆる高学歴だった私は、
気づかないうちに、決められたレールの上を歩いてきました。
そして、「レールの先にある景色なんて、たかが知れている」
そんなふうに思っていました。
でも今なら分かります。
それは、ただ選択肢を知らなかっただけだったのだと。

選択肢は、思っている以上にたくさんあります。
レールの上を歩く人生も、そのうちのひとつにすぎません。
そのことを、私は彼らから、身をもって教えてもらいました。
つづく↓




